恐怖の幽霊トンネル
ちょっと長いよ。
怪談には少し早いけど、怖いお話するね。
噂話と実話が混じった話だよ。
JR北海道の石北本線を旭川から網走方面に乗車すると、やがて遠軽という駅に着くんだよ。
列車は、遠軽駅から前後の向きを変えて網走方面に向かうんだ。
遠軽を出ると、生田原という駅に着くんだ。生田原は林業の町で、ここを出ると隣の留辺蘂(るべしべと読むよ)まで、人の住まない原生林に分け入っていくよ。
やがて列車はトンネルをくぐるんだ。
このトンネルは、1914年に開通したんだけど、難工事で約500メートルのトンネルを掘るのに3年かかったんだ。
この工事では、たくさんの人が亡くなって労働環境も劣悪だったことから、病気や過労で倒れた人は、治療されずに放置されて死んだら大穴に捨てられたとか、監督に逆らった労働者はリンチにあって殺されて、遺体はトンネルに塗り込まれたとかいう噂が当時からあったんだ。
山菜をとりに山に入った人が、人骨を見つけたこともあったんだって。
開通後、トンネル内で列車が急停車する原因不明の事故が続いたよ。
怪談もたくさんあって、保線作業の人が苦しげな呻き声を聞いたとか、通過列車をやり過ごすために退避場所にいたら、誰もいないのに後ろから押されたとか、運転手さんがトンネル内にたくさんの人影を見たとか、運転台の窓が急に真っ赤に染まったとか。近くの信号場に勤める国鉄職員によくわからない病気が多いとか。
だからお化けトンネルとか幽霊トンネルとか言われていたんだ。
1954年に慰霊の為にお地蔵様が作られたんだって。
全てが発覚したのは、1970年9月。
十勝沖地震で損傷したトンネルの補修工事中に、留辺蘂側から三つ目の待避場の壁から、頭蓋骨が損傷した人骨が発見されたよ。
噂は事実だったんだ。
その後の調査で、さらに10体もの遺体が発見されたんだ。
お地蔵様の裏の空き地からも50体もの人骨が国鉄職員さんや家族たちによって、発掘されていたんだ。
幽霊やお化けより生きている人間の悪意の方がよほど恐ろしいよね。
ちなみに、通過列車をやり過ごすために退避場所で、待機中に何かに背中を押された保線作業の人が退避していた場所がまさに、遺体が塗り込まれていた場所だったんだって。
おしまい。
写真は事件のあった常紋トンネルの留辺蘂側出口付近だよ。
じいちゃんが子供のころ、じいちゃんのお父さん、つまりひいじいちゃんから何度もこのトンネルの話を聞いていたんだって。
じいちゃんのお父さんのお父さん、つまりひいひいじいちゃんはこの辺の駅で駅長だか助役だかをしていたらしいよ。
恐怖の幽霊トンネル
ちょっと長いよ。
怪談には少し早いけど、怖いお話するね。
噂話と実話が混じった話だよ。
JR北海道の石北本線を旭川から網走方面に乗車すると、やがて遠軽という駅に着くんだよ。
列車は、遠軽駅から前後の向きを変えて網走方面に向かうんだ。
遠軽を出ると、生田原という駅に着くんだ。生田原は林業の町で、ここを出ると隣の留辺蘂(るべしべと読むよ)まで、人の住まない原生林に分け入っていくよ。
やがて列車はトンネルをくぐるんだ。
このトンネルは、1914年に開通したんだけど、難工事で約500メートルのトンネルを掘るのに3年かかったんだ。
この工事では、たくさんの人が亡くなって労働環境も劣悪だったことから、病気や過労で倒れた人は、治療されずに放置されて死んだら大穴に捨てられたとか、監督に逆らった労働者はリンチにあって殺されて、遺体はトンネルに塗り込まれたとかいう噂が当時からあったんだ。
山菜をとりに山に入った人が、人骨を見つけたこともあったんだって。
開通後、トンネル内で列車が急停車する原因不明の事故が続いたよ。
怪談もたくさんあって、保線作業の人が苦しげな呻き声を聞いたとか、通過列車をやり過ごすために退避場所にいたら、誰もいないのに後ろから押されたとか、運転手さんがトンネル内にたくさんの人影を見たとか、運転台の窓が急に真っ赤に染まったとか。近くの信号場に勤める国鉄職員によくわからない病気が多いとか。
だからお化けトンネルとか幽霊トンネルとか言われていたんだ。
1954年に慰霊の為にお地蔵様が作られたんだって。
全てが発覚したのは、1970年9月。
十勝沖地震で損傷したトンネルの補修工事中に、留辺蘂側から三つ目の待避場の壁から、頭蓋骨が損傷した人骨が発見されたよ。
噂は事実だったんだ。
その後の調査で、さらに10体もの遺体が発見されたんだ。
お地蔵様の裏の空き地からも50体もの人骨が国鉄職員さんや家族たちによって、発掘されていたんだ。
幽霊やお化けより生きている人間の悪意の方がよほど恐ろしいよね。
ちなみに、通過列車をやり過ごすために退避場所で、待機中に何かに背中を押された保線作業の人が退避していた場所がまさに、遺体が塗り込まれていた場所だったんだって。
おしまい。
写真は事件のあった常紋トンネルの留辺蘂側出口付近だよ。
じいちゃんが子供のころ、じいちゃんのお父さん、つまりひいじいちゃんから何度もこのトンネルの話を聞いていたんだって。
じいちゃんのお父さんのお父さん、つまりひいひいじいちゃんはこの辺の駅で駅長だか助役だかをしていたらしいよ。
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グラフ
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なんでも